猪熊弦一郎プロフィール
GENICHIRO-INOKUMA

金環食
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1902年、香川県高松市に生まれ、幼少の頃から19歳で上京するまでの幼少年期を丸亀市を含む近隣で過ごした。

1922年東京美術学校西洋画科入学、藤島武二に師事し、その後帝展などで活躍したが、1936年帝展改組をきっかけに、小磯良平、脇田和などと共に新制作派協会を設立した。

1938年、フランスへ渡り、フォーヴィスムの巨匠アンリ・マティスに指導を受けたが、第2次世界大戦が始まり帰国。1955年にニューヨークに活動の拠点を移してからは、それまで徐々に変化していた画風は一挙に抽象の世界へと移った。精力的に制作・発表を続けるかたわら、社交的な性格から、ジャクソン・ポロック、マーク・ロスコ、イサム・ノグチなど多くの著名人と交流した。

1973年脳血栓で倒れニューヨークを離れた。晩年は、毎年冬を気候の温暖なハワイで過ごしながら制作に励んだ。1993年5月逝去。ハワイから帰国し、猪熊弦一郎現代美術館を訪れた三日後のことだった。

「絵には勇気がいる。」と、画伯はよく言った。画伯にとって、生きることがすなわち「美の世界」への冒険であった。

 
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