座談会:
美術の可能性・美術館の可能性

出席者

倉林靖
森村泰昌
山本育夫
山崎泰孝
(司会)

50音順



倉林靖

1960年群馬県生。美術評論家
1986年に美術出版社の募集による「芸術評論」で第1席に入選し、以後、美術評論活動に入る。アート界の言論の向上をめざして「がむしゃら」に「悪いと思ったことをきちんと述べる」姿勢で多くの展評、美術論を書く。また、音楽評論を始め他の様々なジャンルにおいても評論を行っている。さらに、「水戸アニュアル94開放系」などの展覧会への企画協力なども行う。
著書に「意味とイメージ:非−意味をめざす文化」「超・文化論:危険をはらむモダン・カルチャー」「現代アートの遊歩術」などがある。


いま、美術があまりにも情報として語られすぎている。本来、芸術体験とはそうではない。
ところが、いわゆる現代美術の世界が今、「制度」になっちゃっている。
昔の読売アンデパンダン展では、アバンギャルド芸術の隣に日曜画家の絵が出ていたとか、いい意味で並存があったけど、今はそれが崩れている。

今、一番感じていることは、結局、美術ってのは誰のため、何のためにあるのかとか、美術ってのはどういうものなのか、制度とコンテクトだけで考えていいのかと、そういう根本的なことを考えてみたい。
たとえば教育の面からみても、美術館を子どもの時見て、その人が大人になると何か意味を持ってくる。そういう関わりがある。

情報社会の中では出会いにヒエラルキーが生まれる。それを崩していく方がいい。
文化も、エコロジカルに、消費するだけではなく保存なり生産なりしないと。
例えば音楽だったら、東京の方がウィーンやパリよりも演奏会やオペラがひしめいている。その消費の飽和状態から、自分で演奏してみるとか、何かやってみるとかいう方向にいかなきゃいけない。美術でも、自分で手を動かすとか、自分で考えなきゃいけない。

批評家自身もクリエイティブになっていかなきゃいけないし、普通の人の言葉で素直に表現する文体をもっていないと、これからダメなんじゃないか。それから、ジャンルを飛び超えた視点を持っておかないといけない。


森村泰昌

大阪市生。美術作家
1985年からゴッホなど有名な作家のよく知られた絵の登場人物に自分を重ねる作品を制作し、1988年にベニス・ビエンナーレの「アペルト88」に出品、注目される。
1990年制作の「九つの顔」以降、コンピュータを駆使して、洋画、日本画を問わず、名画の中に自分自身を合成した作品を発表する。現代の文化にも関心がおよび、映画女優をテーマとした作品を制作し、1996年には「美に至る病──女優になった私」(横浜美術館)として発表。主な著書『きせかえ人間第1号』(小学館)『レンブラントの部屋』(新潮社)『美術の解剖学講義』(平凡社)


日本の美術館は、案外、欧米と比べて予算も人手も多い。国や企業の美術家に対する補助は少ないが、基本的に反社会的な美術の自立性を考えるとそれもまたいい。

やりたいと思うことは、たいていやってはいけないこと。そこは知恵──ある種のトンチは笑って許される場合もある。例えば僕は、狭いので常設展示できない原美術館で、トイレならというので常設展示したことがある。

生き延びるために世界と闘わなければならない状況がある。
やりたいアイデアは山のようにある。ただ、それを実現するのに10年や20年は待っていい気持ちでないとできない。自分のわがままをやらしてもらうんだから待つのは当然。

ヘンな美術館が日本は多い。常識的には作品展示にふさわしい空間をつくるが、日本では好き勝手にやっている。

東京都現代美術館の展示室は天井高8mくらいあって、「これでも展示できるかね、キミ?」と言われているよう。そこまで言われると、作家としても「じゃあ、してやろうやないか」と、割合納得がいく。

本来は、美術館も表現の場の1つにすぎない。
例えば、僕の文献資料一切をコンピュータで管理している人の活動や、僕が人にあげている文章と写真を貼ってつくった色紙とか、そういう流れの中に美術館もあるのではないか。全部等価に考えた方が生産的。
僕は美術館は絶対に必要だと思うが、全ての美術のまん中に美術館を据えると、きっとヘンなことになると思う。


『きせかえ人間第1号』より


山本育夫

1948年山梨県生。山本育夫事務所主宰
ミュージアム・マガジン『DOME(Document of Museum Education)』編集長・詩人
10年間山梨県立美術館に勤務し、当時、まだ珍しかった鑑賞のためのセルフ・ガイドを研究。「アメリカで使われているセルフガイド」の研究を紀要として出版。「ミレー・セット」などを作成したのち、独立し、フリープランナーとなる。
ミュージアム・ドキュメンタリストをめざす一方、すべての日本の美術館にセルフ・ガイドが置かれる日を夢見て、いろいろなミュージアムのセルフ・ガイドづくりに打ち込んでいる。
『BT』誌レビューを執筆するとともに、東京造形大学「ジャムジャムミュージアム」や上智大学教養講座などのコーディネートや講義を行う。著書に、詩集『ボイスの印象』(吉本隆明・神山睦美による山本育夫論掲載)、造本山本育夫詩集『NEW MAN』などがある。
URL=http://www2a.meshnet.or.jp/~yamaiku/


僕は「固有名詞性」を重視し、日本のミュージアムを実際に見て、そこで出会った出来事や人々の姿をドキュメントしたいと考えて『DOMEを始めた。
そして感じたことは、この国の美術や美術館の問題は、50年、100年のスパンで考えた方がいいということ。

日本の美術館は展覧会主義で、作品をぐるぐると流し続けているが、そろそろ1人ひとりがじっくりと作品と向かい合える時間をつくっていくことも大事。
例えば、奈義町現代美術館の館長さんは、「宮脇愛子さんの『うつろひ』を1年中見ていると、しだいにうつろひの意味が自分なりにわかってくる」とおっしゃった。
奈義の空間は「癒しの空間」の要素があり、人々はここで芸術家が獲得した高い精神性を体験できるような気がする。

建築家が自分の考えで美術館をつくると、学芸員から不平が出るが、逆に学芸員が建物に合わせた展示を考えることも起こる。
安藤忠雄設計の直島ベネッセハウスの展示室へは、瀬戸内海の自然が飛び込んでくる。そこに展示される作品は自然の色彩に影響を受けるので、作家は、そこの風景を見ながら負けない作品をつくらざるを得なくなる。

最近は、企画の理念をはっきりと打ち出す学芸員も出てきた。抑圧すれば反乱も起こるから、当然作家も主張し、学芸員と作家がキャッチボールを始める。

常に新鮮な美術を紹介し続けることも美術館の役割だが、批評を介在させないでドキュメントに徹して作品を保存・伝達することの方がすごいかもしれないという思う。アートは生き物だから、時代によって生き返ったり、また死んだりする。


山崎泰孝

1935年芦屋市生。建築家・近畿大学教授、AZ環境計画研究所主宰
劇場計画・設計を中心に、音や光などの演出を建築空間に生かす試みをするとともに、ひろく人間関係や文化、伝統のあり方を含めた「風景」を考え続けている。
現在は、阪神大震災にあたって芦屋市らしい復興のあり方を考え・提案するAAN(Ashiya Alive Network)の活動に力を入れている。
作品に、芦屋ルナホール、善光寺別院願王寺、グランディア芳泉、中町ベルディホール、福崎町エルデホール、登米祝祭劇場、別府B-Con Plaza ハーモニアホールなどがあり、著作に『ホールの計画と運営』『京都・南座の記録』他がある。


建築もそうだが、情報のシステムが整理してしまっている。例えば、建築では写真とか視覚的な情報だけにとらわれて、人的な全体験が欠けている。

最近話題の奈義町現代美術館にオープンの時に見に行ったけれど、町の方は、中身も現代美術に近しい人への接し方も、かなり戸惑っておられた。


(概要文責 編集部)


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