情けないかな、欠落する私の美術館体験──小暮宣雄 理想の空間は想像力の中にある──今野裕一 NO WHERE, NOW HERE──芹沢高志 |
四つの装置/小杉武久 ──1991年、P3にて Photo:P3 |
私のANIMA 1は「長い紐を巻き取る」行為を室内外の様々な空間で試みるパフォーマンス作品である。 私のパフォーマンスは空間の参入によって成り立っている。しかし、私のパフォーマンスにとって理想とする空間は、限定を超えた無目的なエンバイラメントである。 |
芸術は、社会の変化を先取りして大きく変化しており、これまでの美術館では展示できない作品群が登場してきている。例えば、白い壁ではなく黒が空間ベースの作家がいるが、現在の美術館では対応しにくい。 建築家も建築企画者も、過去のモデルにとらわれて建物をつくることがある。 しかし、モデルなしに創造する芸術家、空間に引き出すディレクター、そして空間を現実化する建築家が、モデルなしにコミュニケーション/コラボレーションすることが必要だ。ここからしかクリエイティブの再生はありえない。 理想の美術空間は、想像力の果てに、トライすることの可能性の中に、未来の現実の中にある。 |
NO WHERE, NOW HERE 残念だが、私は美術のためにつくられた空間そのもので、息をのむほどの経験をしたことがない。 この6年間、東京の東長寺新伽藍境内地下講堂で、主に現代美術の作品を紹介してきた。ここは本来が寺の講堂であるが、ジョン・ケージ、インゴ・ギュンター、三上晴子、蔡國強などの優れた芸術家と出会うとき、この空間はその表情を一変させた。 |
ワールド・プロセッサー/インゴ・ギュンター ──1990年P3にて Photo:P3 |
(いずれの文章も概要文責 編集部) |