座談会:博物館の現在と未来 出席者
澤四郎
志澤政勝
半澤重信
山崎泰孝(司会)
50音順

澤 四郎

1938年栃木県生。釧路市生涯学習推進部部長・北海道教育大学釧路校・釧路短期大学講師
長年にわたり釧路市立博物館において北海道の地域研究と普及活動を実践しつつ考え続け、同館の主要なフィールドであった国立公園「釧路湿原」の初期の調査・研究と保護・保全運動の中軸として活躍。
それらの成果をベースに1985年に完成した釧路市立博物館新館の展示に立体環境音楽を導入、音を加えた五感に訴える展示を試みている。
著作に『釧路市立博物館50年の歩みと新館建設』『地域環境と博物館』などがある。
1996年4月逝去


博物館は機能的であればよいと思っていたが、市民の博物館離れ現象を見て、博物館建築は地域環境を象徴するデザインが必要と思い、釧路市立博物館のデザインを選択した。

利用者を魅了するような展示にしないといけない。だから釧路では展示と建築空間を各展示室のテーマをイメージする音で結ぶ、五感に訴える展示にした。

ただ、展示技術はずいぶん進歩したが、中には技術先行がかえって見学者をわかりにくくさせている例もある。

釧路アイヌ懇話会会員は、その研究成果を自分達の金で毎年1冊ずつ本にまとめている。これからの博物館は、そういうボランティアと、図書室・相談室の役割が大きくなるだろう。

北海道の美幌博物館・美幌農業館では農家とパソコンで直結して農業や博物館の情報を提供している。博物館も間もなくそうしたサービス活動が当たり前になる。

楽しく学習できる博物館にするためには市民広場のようなくつろげるスペース、ボランティアが活躍できるようなスペースなど、生涯学習の時代にふさわしいスペースや学習メニューの確保が必要。

それ以前に、市民の知的欲求に応えられる条件整備が大切。最終的には博物館の本質を忘れずに活動できる人の問題だ。また、一方で利用者側からも開かれた博物館への働きかけが必要。


志澤政勝

1952年小田原市生。横浜マリタイムミュージアム学芸員・事業係長兼課長補佐、東京学芸大学非常勤講師(博物館実習担当)横浜海洋科学博物館を経て、現在の横浜マリタイムミュージアムへ。近代日本商船・港湾に関する資料・図書の収集や調査・教育事業を行っている。1975年より博物館関係者と市民による研究組織「博物館問題研究会」の活動に参加している。著作に、「戦後・博物館単行書目録」、編集校訂『横浜港検疫船原簿第1巻』がある。


博物館に市民が足を運びたくするためには、威圧感のある入りにくい外観でない方がいい。

メンテナンスの費用と手間がかかる新しい展示技術を使わなくても、物でいろいろ見せられる。見向きもされなかった「物」を集めて、新たな価値も発見できる。それには、博物館人の選択眼と見識が問われる。

最近は公開の図書室併設博物館が増えている。展示を見て出てくる疑問に答えるための、そうしたソフトウェアが必要。

伊藤寿朗さんの最期の著作『ひらけ、博物館』から、博物館よ開け、という言葉はきている。彼は、博物館は市民のためにあるという視点から、博物館の市民社会における役割と可能性の理論化を試みた。

彼は博物館を、'60年代以前の「保存」中心の第1世代、現在の多くの博物館が入る'60年代以降の「公開」中心の第2世代、そして'80年代後半から出てきた「参加」中心の第3世代の博物館、とモデル化した。

市民に向かって開いていることが前提の第3世代博物館を可能にするのは、博物館側の明確な方針にもとづいた体制づくり。

その上で、市民が博物館と共同で調査や収集、出版など学芸活動をして、市民が知的探求心をはぐくみ、自己教育していく。

こうした博物館はまだ少ないが、さまざまな活動を展開し、社会の中に浸透してきたと思う。


横浜マリタイムミュージアムと帆船日本丸
Photo:YOKOHAMA MARITIME MUSEUM


『ひらけ、博物館』
伊藤寿朗著、1991年、岩波ブックレットNo.188。
なお、同じ伊藤氏の『市民のなかの博物館』(1993年、吉川弘文館)は、より理論的な分析を進めた論文が掲載されている。

半澤重信

1930年東京生。半澤重信研究室代表、東京工業大学講師・千葉工業大学講師
文化財の保存、博物館・美術館・資料館の建築計画に保存科学、環境工学を導入すべきことを主張し、全国にその設計・指導を行っている。
作品に東京国立近代美術館工芸館その他がある。関与したその数は文化財保存施設約800件、歴史民俗資料館約500件、博物館・美術館は200件弱におよぶ。
主な著作に、『博物館建築──博物館・美術館・資料館の空間計画』『歴史民俗資料館』『博物館・美術館・資料館──新編建築学ポケットブック』等がある。


博物館のよさの基本は資料の保存の良し悪しだが、建物が是非欲しいと市民の誰からも望まれ、さらにそこに入ってみたいと思わせる設計をもっと重視すべきだ。

私は博物館の企画の相談に乗ることが多いが、博物館では人が重要だから、早くから館長または学芸員を決めて、基本構想委員会から建設委員会を通じて出席させるべきだと言っている。

「開かれた博物館」の手法の1つとして、市民が博物館で見た記憶を家庭にもって帰る、ミュージアムショップ、ミュージアムレストランも必要だ。

ただ、未だに館側には“商売をする”ことに抵抗があるところもある。しかしいざミュージアムショップを開いたら、売れる。さらに、ここで地域の特色のあるものをつくれば、地域に職を与えることになる。


山崎泰孝
(司会)
1935年芦屋市生。建築家・近畿大学教授、AZ環境計画研究所主宰

(概要文責 編集部)

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