澤四郎 志澤政勝 半澤重信 山崎泰孝(司会) | |||||||||||
1952年小田原市生。横浜マリタイムミュージアム学芸員・事業係長兼課長補佐、東京学芸大学非常勤講師(博物館実習担当)横浜海洋科学博物館を経て、現在の横浜マリタイムミュージアムへ。近代日本商船・港湾に関する資料・図書の収集や調査・教育事業を行っている。1975年より博物館関係者と市民による研究組織「博物館問題研究会」の活動に参加している。著作に、「戦後・博物館単行書目録」、編集校訂『横浜港検疫船原簿第1巻』がある。 博物館に市民が足を運びたくするためには、威圧感のある入りにくい外観でない方がいい。 メンテナンスの費用と手間がかかる新しい展示技術を使わなくても、物でいろいろ見せられる。見向きもされなかった「物」を集めて、新たな価値も発見できる。それには、博物館人の選択眼と見識が問われる。 最近は公開の図書室併設博物館が増えている。展示を見て出てくる疑問に答えるための、そうしたソフトウェアが必要。 伊藤寿朗さんの最期の著作『ひらけ、博物館』から、博物館よ開け、という言葉はきている。彼は、博物館は市民のためにあるという視点から、博物館の市民社会における役割と可能性の理論化を試みた。 彼は博物館を、'60年代以前の「保存」中心の第1世代、現在の多くの博物館が入る'60年代以降の「公開」中心の第2世代、そして'80年代後半から出てきた「参加」中心の第3世代の博物館、とモデル化した。 市民に向かって開いていることが前提の第3世代博物館を可能にするのは、博物館側の明確な方針にもとづいた体制づくり。 その上で、市民が博物館と共同で調査や収集、出版など学芸活動をして、市民が知的探求心をはぐくみ、自己教育していく。 こうした博物館はまだ少ないが、さまざまな活動を展開し、社会の中に浸透してきたと思う。
『ひらけ、博物館』 伊藤寿朗著、1991年、岩波ブックレットNo.188。 なお、同じ伊藤氏の『市民のなかの博物館』(1993年、吉川弘文館)は、より理論的な分析を進めた論文が掲載されている。 | ||
(司会) |
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